御坊組 寺院紹介 vol.1


常福寺


 終南山松盛堂常福寺という寺号の詳しい由来は伝わっていませんが、終南山といえば誰でもすぐ善導大師を思い出されましょう。
 終南山とは中国陝西省西安市藍田県の南に横たわる泰嶺山脈にある寺山で大師が念仏三昧にふけられたのが終南山の悟真寺ですから、その名を山号に頂いた人たちの深い意向が偲ばれます。
 なお又真宗のお念仏が伝えられた南端というこころもふくまれているとも想像されます。また五十年程前まで境内にあった樹齢百年以上の三本の松の木は惜しいことに例の松くい虫の被害で枯死伐採しましたが、松盛堂の名の示す所以も知られます。現在の柏槇や公孫樹は樹齢四百五十年と伝えられています。

 現在地の美浜町田井という字は前を流れる西川の氾濫にも昔からなやまされた、日高平野でも最低地帯に属しますから、近くは昭和二十八年七月の大水害、また明治二十二年の大洪水には何れも水位はほぼ軒までに及び、本堂では何れの時も須弥壇の上段、お仏像のお足もとぎりぎりまで浸水、漸く流出だけはまぬがれましたが、書類等はその殆どを失っています。
 大蔵経などは、鴨居の上に特設した書棚によって無事でしたが、古文書の類は殆ど皆無で僅かに明治の水害の泥にまみれた二、三のものが残るのみです。

 さて寺伝によりますと、今から五百年以上前の文明年間蓮如上人が熊野参詣のため御下向井の折、当家の祖、池上太良左ヱ門が深く真宗に帰依し、田井村の人々と共に相集って念仏を歓び合っていましたが、その孫に当る三代太良左ヱ門が天文四年(一五三五)三月本尊の下付を頂き、その子浄西が同十三年豊臣氏南征の兵火に檀那寺の真言宗海竜寺が全焼したのを機に、檀徒と共に真宗に帰し、北道場というのを建立して念仏を温め合っていましたが、天保三年(一六八三)三月常福寺の寺号を許されたとあります。史実では蓮如上人当地巡錫は見えないといわれます。

 ともあれ、念仏を心から歓び合う篤信の人々の集いの場としての道場が当寺の寺基であることは間違いのないことなので、それが何よりも私達には悦ばれます。そして浄西が当寺中興の第一世とされ、その後約五十年、享保十二年(一七二七)本堂を現在地に移し、近くは明治十三年四月吉原にあった隣寺の閑寿寺と合併、今日に及び、前住職は中興より数えて十代目ということです。

 要する所、真宗に帰依して五百年余、道場建立、御本尊下付後四百五十年、寺号下付後三百年、現在地に移って二百五十年、閑寿寺合併後百五十年というのが当寺の概略です。
 伝わっている蓮如上人直筆の六字のお名号を鴨居におかけして称名の声高らかに響かせ終南大師の念仏三昧にあやかる祖先の人たちの姿を偲ぶことが出来ます。これが当寺の誇りなのです。
 お念仏が日常生活の中にとけ込んで心の糧となり支えとなって、常日頃の幸福な生活を歓びあう道場としての寺のいわれを永久に伝えてゆくことこそ、この寺院に縁を結ばれた任務なのだと考えております。



  住職代務  金谷 安勝    







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