御坊組 寺院紹介 vol.21
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寺の記録はないが、日高郡誌などによると、浄専寺の沿革について文明年間に開基というが、江戸初期に明円が中興するまでの寺歴は明らかでない。 寛文三年(一六六四) に本願寺より木仏本尊阿弥陀如来を下付せられ、享保二年(一七一七)浄専寺なる寺号公称の許可を受けた。 なお延宝六年(一七六八)の日高鑑、萩原村の条に寺二寺(二軒浄土宗、真宗)と記されている。真宗寺院は当寺のことと思われる。 本堂は明円が中興後の時、建立したか疑問なるも享保七年四月に再建した。その時の本堂は松の巨木一本を以て建ち、五間半四面を以て再建する。 また湯川村富安にあった大専寺が明治二十一年八月暴風に大破するや則ち当寺に合併する。 庫裡は昭和十三年に九代目坊守マツによって再建せられる。マツは旧本堂再建も念じていたが昭和四十一年に死す。 旧本堂も過ぎる南海大震災、加うるに毎年のように来襲する台風により修理不能の状態となり、数回の門信徒総会をもち、昭和四十五年一月三日から取り壊しが始まる。 翌年三月に工事が修了、鉄筋造の本堂が完成。翌四月六日に落慶法要が行われた。 歴代住職には開基明円、二世が明心、 三世が恵教、四世が善了、五世が恵了、 六世が善随、七世が教聞、八世が教順、 九世が教進、十世が英次、十一世が光子、 十二世が護で現在に至る。 住職 楠山 護
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