「親鸞聖人」と出合う旅 宗教公園「五色園」を訪ねて

■50年前の祖母の写真から
 昨年の夏ごろ、90歳を越えた母の認知症傾向が顕著になり、周囲の状況がよく理解できないようになり、同居する私どもとの意思疎通が難しくなりました。少しでも認知症の進行を遅らすためにいろいろ手を尽くしてみましたがあまり効果はありませんでした。
 母自らが整理して大事にしてきた旧いアルバムで昔の記憶を取り戻してもらおうとしましたが、ページはくれど、目線はうつろ、殆ど興味は沸かない様子でした。ある時、母のそばにいた時、アルバムにある1枚の写真が私の目にとまりました。
 それは、母が写っているものではなく、当時70代後半の祖母(前々坊守)が楽しんだ団体旅行の記念写真でした。祖母と同年配くらいの方々が30人くらい、よく見ると、自坊の総代さんをして下さったKさんも入っておられました。そしてその写真の前列には「親鸞聖人700回大遠忌記念五色園参拝」と記されたボードが置かれていました。ということは昨年が宗祖750回大遠忌御正当でしたから、この旅行は今から50年前のことです。他の参加者に全く見覚えがないので、自坊の旅行ではなく組か教区の主催であったのかもしれません。写真の裏には何も記されていませんでした。(この写真は今年二月にその母が亡くなって部屋を片付けているうちに、行方不明になってしまいました)
 ここにある「五色園」という場所、名古屋の近くあって親鸞聖人のたくさんの塑像がある宗教公園だということは以前、何かで知ったことがありました。いつか行きたいとは思っていましたが、鉄道の便が良くなさそうなので諦めておりました。

■親鸞聖人立体絵巻「五色園」
 この写真を発見して以来、是非ともと思う気持ち強くなり、ネットで五色園を検索してみると、確かに名古屋市の東隣、日進市に存在し、今も、親鸞聖人御生涯の御事績を表す像がたくさんあることがわかりました。8月末、思い切って車で出かけてきました。
先に名古屋の徳川美術館へも行ったので、五色園に着いたのは午後3時すぎ、入園は無料、日曜日でしたが、同園内にある霊園にお参りされる数人の他にこの施設を訪ねる方はいませんでした。
20万坪におよぶ広大な園内を散策するには、自動車の乗り入れ自由はまことに有り難いことです。起伏のある園内のあちこちのポイント(雑木・雑草が大きくなりすぎ、像を見つけにくいところもあります)で聖人の様々なエピソードが1シーン、1〜15体の塑像で表現されています。まさに「親鸞聖人立体絵巻」の観です。
 「六角告命」「信行両座」「流罪」「弁円済度」「箱根示現」は立体であるがゆえに、同じ場面が描かれている「御絵伝」よりはるかに分かり易い。民間に伝承されてきた「月見の宴」「赤山明神貴婦人邂逅」「松虫・鈴虫の出家得度」「川越の名号」「身代わり名号」「日野左衛門前石枕」「御田植」なども真偽を越えて聖人のお心が伝わってきます。親鸞聖人に直接関係がないと思われる場面もいくつかあります。「肉付きの面」(蓮如上人)「夜盗藤四郎聞法」「桜が池大蛇入定の由来」(法然上人)「五劫思惟像」は良いとして「不動明王尊」「縁結び弁財天」となってくると浄土真宗とは結びつきません。地元の英雄豊臣秀吉の出世の端緒を表した「日吉丸矢作橋出世の緒」は多くの人物を登場させとりわけ見事な造形となっていますが・・・。他にも「明治天皇・皇后像」など展示の意図が私には理解できない像がいくつかありました。
 あまりに場面が多く、案内パンフもないため、帰ってからネットで確かめると見逃した像もたくさんあることが判明、うーん残念。しかし、こちらの体力的なこともあり、すべてを巡ることは今の私にはとても無理です。

■制作者浅野祥雲師とは
 ここには合計24シーン、100体を超す塑像があります。一体、一体どの像も表情豊か、とてもリアルです。一体の大きさは約2メートル、材料はコンクリートでその表面に彩色したものです。どれも迫力ある像です。これらの像はすべて一人の芸術家の手によって生み出されたものです。  その人の名は、浅野祥雲、1891(明治24)年、岐阜県恵那郡に生まれ、1958(昭和33)年に名古屋に移り住んだと言われる。もともと土人形を作っておられたが、等身大のコンクリートによる塑像という独特の制作スタイルを打ち立て、リアルでありながらユーモラスな作風は一度見たら忘れられない強烈なインパクトを持っています。1978(昭和53)年に亡くなるまで中部地方に多くの作品を残しました。現在でも1000体ぐらいの作品が確認できるといわれています。関ヶ原ウォーランド(岐阜県関ヶ原町)、桃太郎神社(愛知県犬山市)、中之院の軍人墓地(愛知県南知多町)にある塑像群は有名です。いずれの場所にある像も材料がコンクリートであるが故に芸術的な評価はいま一つで、これらの場所は「B級観光スポット」「名古屋珍百景」扱いされているのは少し残念な気がします。

■ボランティアによって守られる塑像群
 五色園の開園は昭和9年とか、まもなく80年になりますが、現在、その像はみな大変綺麗です。何十年も野外に置かれて痛んだ姿ではありません。それはボランティアの修復再生作業のおかげです。2009年秋から2013年春にかけ7次にわたって「浅野祥雲作品再生プロジェクト」が展開され、大勢の人たちよって全面的に塑像の「お色直し」が行われました。
 この五色園は「五色山大安寺」という浄土真宗の単立寺院が運営されています。園の中央に近年建設されたと思われる鉄筋の大本堂がありました。研修・宿泊所も併設されています。そして、広大な霊園があります。
 公園を歩くと、あちこちで済度に駆けめぐる生身の聖人をお見かけし、近くに寄らせていただくと直接聖人から御教化を受けているような気分になります。50年前、祖母も同じ思いを持ったのではないかと思いました。時を越えて祖母とも心の交流ができたようでとても嬉しい時間を過ごしました。
 なお、この公園に興味がおありの方はインターネットで「五色園」を検索しますと、ここを紹介する多くのサイトが並んでいます。また、修復・再生作業の様子もよくおわかり頂けます。どうぞお訪ね下さい。私の物見遊山の旅はスライドにし、今秋、自坊の彼岸会で御門徒さんに紹介しました。ご覧になりたいお方がおられましたら御一報下さい。

御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)


▲ページトップに戻る