(過去の「雑色雑光」はこちらからどうぞ)

新年明けまして おめでとうございます

 有縁のみなさまにはお健やかに新年をお迎え下さったこととお慶び申し上げます。旧年中は、何かと御坊組を温かくお支えいただき有り難うございました。本年もどうかお見捨て無きようお願いいたします。
 近頃は、「数え年」を用いるのは年回の巡りぐらいで、年齢もすっかり「満」数えになってしまいました。お正月が来て一歳をいただくという感覚は薄くなっていますが、1950年生まれの私は、今年2015年のお正月は「数え年」で66歳、今年末には国民年金をもらえるはずの立派な「高齢者」です。髪には白いものどころか、黒いものがほとんど見えません。そして、それらが抜け落ちるペースはリニアなみ。「手はふるえる 足はよろつく 歯はぬける 耳はきこえず 目はうとくなる」(仙涯「老人六歌仙」)もう来るところまで来ております。

■高齢者の集い
 昨年11月末、誘われて由良町で開かれた「第5回 日高地方高齢者の集い」なるものに初めて参加してきました。参加者130名を超える集いの現地実行委員会の事務局を担当して下さったのはO氏。私の高校時代からの親友で教師として何年も職場を同じくした方です。会場の由良町中央公民館の舞台の上には「 ひとりぼっちの高齢者をなくし、交流をひろげよう」と大書されています。
 内容は盛りだくさん。実践報告として、由良南風会の尾崎清さん(67歳)が「男の料理教室〜生活習慣病を防ぐ食生活の改善〜」というタイトルで「妻に寝込まれたら、もし先立たれたら」との不安から始められたという料理教室の取り組みを紹介して下さいました。しかし、本格的で、スライドに映し出された料理は京都瓢亭(入ったことはありませんが)の懐石膳と見まがうばかり。私にはとても作れそうにない。奥様を大事にせねば・・・。
 次は、ヨガを取り入れたお年寄りに無理のない「夢の若返り体操」を教えていただいた。さらに炭坑節の替え歌に振り付けした「若返り踊り」。これは踊りオンチの私にはちょっと苦手。
 次は、私も入れていただいている年金者組合のコーラス隊が懐かしい歌を披露して下さいました。舞台の上には元音楽教師が幾人も、昔とった杵柄、容貌は・・・・しかし、声は20代。
 最後はみんなで歌いましょうと、舟木一夫さんの「高校三年生」の替え歌「人生これから」を大合唱して終了。この歌、結構面白いですよ。下に歌詞を挙げておきます。どうぞ練習してみて下さい。

○ 人生これから
(1) 赤い夕陽が ホームを染めて  笑い絶えない 仲間たち
    ああ こうこう高齢者 我等 道はそれぞれ 違ったが
    こうして 会えて よかったね
(2) 会えば尽きない 思い出ばかり 今日は語ろう 思い切り
    ああ こうこう高齢者 我等 熱き思いが この胸に
    今 よみがえる あの頃が
(3) 何もないけど このことだけが 言っておこう 伝えよう
    ああ こうこう高齢者 我等 未来に生きる 子のため
    バトン渡そう しっかりと
(4) 残り少ない 余生を大事に 生きていこうよ これからは
    ああ こうこう高齢者 我等 今日一日に 感謝して
    明日へつなごう 元気よく

 帰りの車中、自然と一人で「ああ こうこう高齢者」とやっていました。すっかり高齢者になりきった一日で、帰宅して坊守にこの歌を教えてやろうと言ったのですが、まったく聞く耳を持ちません。私と年齢差は1歳だけですが、この差は大きいようです。
 ただ、こうした集まりでは、どうしてもアンチエイジングが目的となりがち。いつまでも若々しくありたい、健康でおりたい、寝たきりや惚けにはなりたくないという願いばかりが前に出てきます。

■小寄りサロンにて
 拙寺の12月の「小寄りサロン」では、「集い」で習った替え歌とお念仏の先達が作られた次のような詩や替え歌を紹介させていただいた。

○「老」 東井義雄
  「老」は失われていく過程のことではあるけれども、得させてもらう過程でもある
  視力はだんだん失われていくが
     花がだんだん美しく不思議にみさせてもらえるようになる
  聴力はだんだん失われていくが
     ものいわぬ花の声が聞こえるようになる
     蟻の声が聞こえるようになる みみずの声が聞こえるようになる
  体力はだんだん失われていくが
     あたりまえであることのただごとでなさが体中にわからせてもらえるようになる
  失われていくことはさみしいが、得させていただくことはよろこび
    「老」のよろこびは得させていただくよろこび

○ 炭坑節の替え歌
  (1)愚痴が出た出た 愚痴が出た (ヨイヨイ) 私の口の上に出た
     あんまり愚痴が 多いので さぞや人様 けむたかろ (サノヨイヨイ)
  (2)あなたが救うと 云うのなら (ヨイヨイ)思い切ります 一信に
     こも身このまま まかせます あみださぁまに まかせます (サノヨイヨイ)

そして、私が大好きな中川静村師の「生きる」をCDにあわせて合唱してもらいました。 ○ 生きる
  (1)生かされて 生きてきた  生かされて 生きている
     生かされて 生きていこうと 手をあわす 南無阿弥陀仏
  (2)このままの わがいのち  このままの  わがこころ
     このままに たのみまいらせ ひたすらに 生きなん今日も
  (3)あなかしこ みほとけと  あなかしこ このわれと
     結ばるる このとうとさに  涙ぐむ いのちの不思議

 東井義雄先生の妹さんの歌にこうあります。
 「ひび割れし 器の如き身なれども  いつ壊れても み手の まんなか」
 我らお念仏を喜ぶものは「老」も「死」もみ手のまんなか、どこでどうなろうとも、阿弥陀様の世界に救われる身です。また、「念仏医学」を提唱された精神科医永尾雄二郎先生に次のような言葉があります。
 「いらいらや くよくよのみの 人の世も なごりなつかし 今日の一日」
 加齢による心身の衰えは致し方のないこと、グルコサミン、コンドロイチン 、ヒアルロン酸、コラーゲンを団子にして飲み込んでみても、黒酢ニンニクやスッポンエキスをこの身に詰め込んでみても、トクホ食品を摂り続けてもみんながCMに登場される方々のようにはならないことは、私や坊守の姿が証明しています。土台が違いすぎます。無理をすることはありません。「老い」もまた楽しからずや。どうぞ、今年も、愚痴りながら、ぼやきながらゆっくり歩んでまいりましょう。時々にこのホームページをお訪ね下さいませ。
南無阿弥陀仏

御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)

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