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御坊組実践運動推進研修協議会(2月21日(土)15時開催)

 この研修会の本組のルーツは「住職・門徒責任役員合同研修会」でありました。
 住職と門徒の風通しをよくし、和気あいあいのなかで組内寺院の活性化と御法義繁昌を誓おうと研修会のあとには懇親会を設けてきました。毎年、組内の住職、寺役員のみなさんおよび教化団体役員の方々が一同に会する楽しい研修と交流の場になっています。
 今年の研修は「和歌山教区教務所長、鷺森別院・日高別院輪番」として着任された中岡順忍師による御教導をいただきました。下記にその一部を掲載させていただきます。

■「開かれたお寺をめざして」 講師 中岡順忍師
 「開かれたお寺」とはどんなイメージがあるのでしょうか。単に扉が開いているということではなく、開かれたということはどういう意味があるのか皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

◆過疎化という問題
 日本全国には過疎地域とよばれる地域がたくさんあります。私の出身の滋賀県は人口が増えている地域ではありますが、滋賀県全部が増えているのかといえば、そうではなく、山間部や街中から離れた地域のお寺ではご門徒さんが減少しているところもあります。お寺の伽藍だけが残り門徒さんは街中でお住まいになっている、そういう地域もたくさんあります。
 一方、滋賀県の県庁所在地は大津市で、その大津には大津組20ヶ寺がありますが、裁判所や県庁など行政が集中している中で、お寺の周りにはご門徒さんの家が1件もないお寺があります。以前は近くに住んでおられたのですが、郊外に引っ越しをされて気が付けばお寺の周りにはご門徒さんが1件もいなくなりました。街中の過疎地のようなドーナツ化になっています。人口の移動によって人が少なくなった地域のことを過疎というのですが、人が少なくなった地域のお寺はどうしていけばいいのか、皆さんにとっても一番の問題ではないでしょうか。

◆お寺はすべてに開かれています
 和歌山に着任前は、滋賀県の近松別院の輪番と近松保育園の園長をしておりました。約100人の園児さんをお預かりしておりまして、職員は30人ほどです。保育士、栄養士、調理師がおられ、一番若い保育士の方は20歳です。あるとき若い職員に郵便物の発送を依頼したところ、切手の貼り方もわからず、発送物を持っていくところすらわからなかったです。常識と思われることが常識ではなくなってきた時代になってきました。言われたことはできるけど、言われてないこと教わっていないことはできない。そういう時代になってきて「開かれたお寺」といって説明しても経験がないからわからない。昔は家族3世代、4世代が同居していましたから教えなくても一緒に暮らしていたらおじいさんおばあさんの姿をみて、お寺にはこんな時に行く、葬式はこんな風に執り行われる、近所との付き合いはどんな風だ、祭りのときはこうする、いろんな行事や家での出来事を教えてもらわなくても見て学んできたと思います。今は、そういう家で暮らしていません、核家族で暮らしています。ですから、いくらお寺を開いていてもお寺がどういうところかわからなくなってきています。
 そこで、皆さん方に課せられている使命は、皆さん方がお寺に行って感じたこと、経験したことをお子さんやお孫さんに伝えていってあげてほしいと思います。
 初めてお寺に行った時のことを覚えてられますか。初めは何かきっかけがあってお寺に行かれたと思います。ですが、かならず、誰かに連れられてお寺に行かれたと思います。ですからお子さんやお孫さんの手を引いてどうかお寺に連れてきてもらいたいです。お墓参りでも結構です、1年に1回でもいいです、誘ってお寺に一緒に行くという行動をしていただくことが、開かれたお寺につながるものと思います。他宗の人でも、今までまったくご縁のない方でもお誘い合わせて来てくれたらいいと思います。お寺はすべてに開かれていますから、別にキリスト教や神社の方でも来てもらってもいいです。ご門徒さんだけがお話を聞く場ではないです。いろんな方とご縁を結ぶ場がお寺だと思います。

◆ボランティアの受け入れを通じて
 平成23年7月1日から仙台別院の輪番を引受けし、約1年半、被災者の救援や被害の復旧活動、全国から来られるボランティアの活動のお手伝いをさせていただきました。
 3月16日併設の幼稚園が閉園し、3月17日からその幼稚園を使って真宗のボランティアセンターがスタートしました。全国各地からボランティアに来てもらう方の無料宿泊所や支援物資を蓄積する場所として活用いたしました。私が着任した7月1日、震災発生から約4か月後ですが、本堂にお参りしようと入ったら、そこには山積みの支援物資でした。天井まで届くかと思われる日用品。タオルやら下着やらの衣類、洗剤、食料品が満杯に積んでありました。被災地にはたくさんの宗派の方やいろんな企業の方が救援のため訪れておりましたが、ボランティアセンターは情報共有の場所としてたくさんの方に活用していただきました。ボランティアセンターは宗派も問いません、国籍も問いません、年齢も問いません、どなたでも受け入れました。中国、韓国、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ドイツ、いろんな国からボランティアに来られました。インターネットを通じて、利用された方からの情報でまた新しい方が利用されるという輪ができていきました。結果、3分の2ぐらいは浄土真宗とはご縁のない方にご利用していただくことができました。
 その中で印象に残っているのは、あるとき3名の聴覚障害の方が来られました。公共のボランティアセンター、福祉協議会やテレビ関係などいろんなボランティアセンターがあるのですが、耳が不自由ということで、受け入れてもらえなかったそうです。真宗では障害があろうがなかろうがどなたでも受け入れておりましたので、がれきの撤去、写真の洗浄、田畑の復元など肉体的な労働が多かったので健常者の方と同じように作業に行っていただきました。3日間ほど活動をされた後お話すると、「ボランティアに行きたくて来たのですが、どこも受け入れてもらえず、ここ真宗のボランティアセンターだけが唯一受け入れていただき、皆さんと同じ作業をさえていただきうれしかったです。全国には障害を持っており、ボランティアに行きたいが行けない友達がたくさんいます。是非、このセンターを紹介して連れてきたいと思います。」というようなことを言ってもらえました。お寺も同じなのではないでしょうか。お寺は真宗の人だけが集まってお話を聞く場所ではないと思います。うちのお寺にきて一緒にお勤めしませんか、お茶でも飲みにいきませんか、どなたでも来てもらいやすいような雰囲気をお寺が持っている、そして、そんな住職さん、坊守さん、ご門徒さんがいらっしゃることが大事なことではないかと思います。

◆異なる宗派、異なる国籍の方と同じ目的で活動すると
 半年もすると仮設住宅が次々と建ってきましたが、お金がある方は他所で土地を買って仮設住宅を出て行かれたりします。今までお金持ちかどうかなど知らなくてもよかったことが、今回の震災によって知ってしまうことになったのです。そして、仮設住宅から抜けていかれ、残された人はどんどん不安になるのです。支援物資を持って行ったり、がれきの撤去などのお手伝いをしましたが、ずっと長く支えていかなければいかないのが心の支援です。そのため、言葉にならない辛い思いや気持ちを聞かせていただく傾聴のボランティアを並行してさせていただきました。あるとき、集会所に集まって皆とお話をするお茶会をひらくことになり、曜日と時間を決めて各集会所をまわり、全国からくるお菓子やら飲み物を持って行き、お話をしたり、手品をして下さる方がおられたり、手芸をする方、歌ってくださる方、いろんな方をお招きして一緒に時間を過ごしました。
 そんなあるとき仏教の話をしてくださいといわれたことがあります。丁度、百ケ日をすぎたぐらいの時期なので寂しさが募っているのではと感じました。仏様のお話をしてほしい。うちの主人は津波でながされたけど成仏しているか不安ですと…。支援物資を持っていた時に、何もない海岸でお勤めをしてもらいたいとお願いされたこともあります。東北という地域は圧倒的に曹洞宗が多いのですが、宗派にこだわりません、お坊さんに拝んでもらうだけでありがたい、純粋にそんな気持ちが伝わってきました。曹洞宗の方々、キリスト教の方々とも協力して活動させていただいたこともあります。異なる宗派の方、異なる国籍の方と同じ目的で、困ってる人のために活動する。同じ目的のためなら、なんの問題もありませんでした。そんな経験をすると、うちの門徒だけ、真宗だけ、など固いイメージをもってしまうとどんどんとお寺が狭まっていくような気が致します。過疎であろうが過密であろうが、そこのお寺が明るくて行きやすい、親しみやすい寺にしていくことが大事なんじゃないかと思います。

和歌山教区教務所長
鷺森・日高別院輪番
  中岡順忍師

■研修協議会、および懇親会スナップ写真
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