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『大賀ハスと真宗木辺派本山錦織寺』

 今年はどうしたことか、美浜町三尾の大賀池のハス、もちろん大賀ハスの生育が悪い。毎年大賀池のハスは6月末か、7月初めに花のピークを迎え、「和歌山大賀ハス保存会」はその可憐で神秘にみちた2千年古代蓮を愛でる「観蓮会」を催してきました。
 しかし、今年は当日、開花するハスが皆無かもしれないおそれがあり、7月4日に予定した観蓮会をやむなく中止としました。私も長年その会に籍を置き、大賀ハスの保存と育成に関わってきましたが、こんなことは初めてです。

■草津市の「水生植物公園水の森」
 この時期、蓮花を見られないのは寂しすぎると思い、6月21日、近畿で最も多くの水生植物が育成展示されている草津市の「水生植物公園水の森」に出かけてきました。ここを訪ねるのは4回目ですが、色とりどりのスイレンは今がピーク、ハスもよく育ち多くの品種が見事な花をつけてくれていました。ただ、園の外、琵琶湖岸の大ハス園は未だつぼみがチラホラ程度でした。
 また、全国の植物園のうちで、ここだけでしか咲かない(実は一昨年、関東のある植物園でも咲いたとのこと)という仏教三霊木の一つサラノキ(沙羅双樹−釈迦入滅時に宝台の周りにあった木)もしっかり見てきました。もう花は終わっていましたが、確かに着花した跡は確認できました。
 毎年、観蓮のためにここまで来るのは大変、来年こそは、大賀池を埋め尽くす蓮華を楽しみたいものです。しっかりお世話しなくては・・・。

■錦織寺の阿弥陀様
 実は、この日、朝早くに家を出ましたので、草津市の「水の森」に行く前にとなりの野洲市木部にある真宗木辺派本山錦織寺に参拝してきました。ここももう4回目ぐらいなのですが、数年ぶりになりますので、随分ときれいに整備された境内に驚きました。5年前の宗祖750回忌法要を機に整えられたようです。
 今回の参拝で錦織寺が他の真宗本山の荘厳と随分と異なることに気づかせていただきました。毘沙門天像をお祀りする「天安堂」なる大きなお堂が御影堂、阿弥陀堂とならんでいることは、お寺の歴史をひもとけば納得できますが、一番の相違点は阿弥陀堂のご本尊のお姿です。鎌倉の大仏様のように阿弥陀様が定印を結んでお座りになっているのです。
 一部独特の伝承を持つ寺院は除きますが、真宗各派では本山だけでなく、別院、一般寺院、御門徒御内仏に至るまで御本尊は「立撮即行」、蓮台の上にお立ち下さり、まさにこちらに歩まんとされる姿です。苦悩の衆生を座視できず、お立ちづめで力尽くされている、やるせない大慈悲心を表されています。また、両の手は親指と人差し指で印を結んでいます。右手をあげておられるのは、“そのまま来いよ”の召喚を表し、左手を下げておられるのは“堕としはせぬぞ”の摂取を表します。
 錦織寺の寺伝によれば「ご本尊は親鸞聖人常陸国御滞在の砌り、霞ヶ浦にて感得せられた一尺八寸の阿弥陀如来像の座像(端座)の御木像」との説明がありました。前3回の参拝時には時間帯が悪かったのか、宮殿の御扉が閉まっており、外陣に置かれたスチール写真でしか見たことがありませんでしたが、今回はじっくりお参りさせていただきました。

■御影堂の聖人像「ご満足の御影」
 そして、もう一つは御影堂の聖人像です。私は、真宗十派の本山はすべてお参りさせていただきましたが、当山以外の「御真影」はみな黒光りする御木像であったと記憶します。しかし、ここでは、「ご満足の御影」とよばれる真向きの御絵像です。寺伝には「親鸞聖人が当山にご滞在中に「顕浄土真実教行証文類」全六巻の内最後の二巻、 真仏土・化身土之巻を作成され、その歓びを門侶の請いにより真正面向きに描かれました」とあります。この日、御影堂内陣の中央の御厨子に確かにこの御影を拝したのですが、退色が進んで遠くからは聖人のお姿がよくわかりませんでした。
 境内には「錦織寺伝絵」の拡大絵と説明文を各所に掲示し、様々な建物や事跡を分かりやすく説明してくれています。木辺派の末寺の数は200ヶ寺あまりだとか。数年前に訪ねた折りの「東山御殿」や「天安堂」の姿を思い出すと、よくここまで整備されたなあと感心するばかりです。木辺派門徒衆の宗祖と本山への篤い思いを尊く頂きました。
 なお錦織寺は、本願寺第22世大谷光瑞門主(鏡如上人)の弟で九條武子女史の兄にあたる孝慈師が第20代門主として入寺された御本山でもあります。師は学徳共に秀で人望も厚かったと伝えられます。(前進座の演劇「如月の華」にも武子さんを温かく後見する人物として登場しています)京都から遠くありません。名神高速栗東インターからすぐですよ。
南無阿弥陀仏


御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)

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