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真宗十派報恩講スタンプラリー

 あけましておめでとうございます。
 新年早々ようこそ御坊組ホームページをお訪ね下さいました。みなさま方には、お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。旧年中は組の取り組みに何かとお力添えをいただき有り難うございました。今年もどうかよろしくお支えいただきますようお願いいたします。

■真宗十派本山報恩講法要巡り
 過日、ふと真宗教団連合のHPを開いてみたところ、「真宗十派本山報恩講法要巡り」なるものを紹介していました。そのサイトを開いてみますと、十派本山の報恩講に参拝して、スタンプを集めてみよう、全山参拝を達成すれば記念品も頂けるとのこと。西国さんやお四国さん巡りの「御朱印」みたいな気がしないでもありませんが、楽しい企画だなとも思い、11月の京都にある真宗三本山の報恩講にお参りしてきました。
 11月26日、鷺森別院報恩講にあわせて開かれた教区総代会の研修会で組活動の報告を求められていましたので、それに出席、和歌山を正午ごろ車で出て、東本願寺についたのが2時すぎ、逮夜法要が始まったところでした。それにお参りして、件のスタンプをいただくために総合案内所に行くと、入り口に設けられたコーナーには立派な台紙(10個のスタンプが押せる冊子)と記念スタンプが置かれてあり、自由に押すことができました。まず1つクリア。


■御影堂門の釈迦三尊像の公開と親鸞聖人讃仰講演会
 この日お東にお参りしたかったのは、2つのイベントがあったからです。その一つは修理中の御影堂門の釈迦三尊像の公開です。この楼門の高さは日本一、その上部の荘厳が公開されることは極めて希です。門の大修理にあわせ百年ぶり釈迦三尊像が修復のため降ろされ、それが完了したため今報恩講中に公開されているのです。像は修復なった阿弥陀堂外陣に安置され、その前には多くの拝観者があふれていました。
 釈迦三尊といえば、釈迦如来像を中尊とし、その両脇侍として配される尊像は文殊菩薩と普賢菩薩が多いのですが、あまり一定はしません。ことに、楼門上の釈迦三尊像の脇侍もお寺によって様々です。私は知恩院、東福寺、妙心寺の山門上層を拝観したことがありますが、みんな違っていました。(妙心寺の中尊は観音菩薩像です)楼門型の山門はお西の寺院にはあまりないような気がします。長浜大通寺、井波瑞泉寺、城端善徳寺などお東の大別院にはありますね。真宗高田派本山専修寺にもあります。しかし、これらの上層部が一般公開されることは希です。
 この東本願寺の釈迦三尊像は釈迦如来像(坐像)を中央に、脇侍として向って右側に弥勒菩薩像(立像)、左側に阿難尊者像(立像)の三尊が安置され、浄土真宗の正依の経典「浄土三部経」の一つである『仏説無量寿経』の会座をあらわすと言われています。今般もこの形で公開されていましたが、修復なってとても荘厳な感じがしました。次にお会いできるのは100年後の修復時、もし、それまでに山門上で公開されてもあの乗降階段(梯子)は年寄りの私にはムリ。

 もう一つは午後6時から新装なった「しんらん交流館」で開催される親鸞聖人讃仰講演会。お二人の講演を聞きたかったからです。まず、お一人目は金光寿郎氏、NHKの宗教番組の制作に関わり続けられた方で、「心の時間」「宗教の時間」(ラジオ)の名インタビューアーとしても知られた放送ディレクターです。現在88歳で近年、脳梗塞を病まれたとのことですが、頭脳明晰、言語明瞭で対談されたさまざまな宗教者から学ばれたことを縦横に語ってくださいました。
 お二人目は、大谷大学の元学長小川一乗氏、「念仏と成仏」という講題で 「教行信証」証巻を踏まえ、親鸞の説いた念仏成仏が釈尊の等正覚の境地であることをお話し下さいました。ただし、その内容の核心部分は私の理解力をはるかに越え、何をメモして良いかもわからず80分が過ぎてしまいました。


■興正寺、西本願寺、東本願寺へ
 翌27日は大逮夜、どの本山も多くの参拝者を迎えます。まず、向かったのは西本願寺のお隣、興正寺のお晨朝です。御門徒の参詣者はあまり多くありませんでしたが、法中方は内陣、外陣に30人以上お参りされており、すがすがしい御影堂内に「正信偈」が響きました。それが済んで2つめのスタンプをゲット。
 ここまで来ますと、わが本山、西本願寺にお参りせずにはまいりません。折良く御影堂濡縁の立看板に「本日十時から顕如上人祥月命日法要 どうぞお参り下さい」とあります。時間まで境内を散策して、この法要に参拝させて頂きました。御門主様御出座で二門偈作法のお勤めでした。なお、この御影堂、前々日25日、前日26日と御坊組総代会主催の念仏奉仕団のみな様がきれいに清掃して下さっていたのです。そこにゆっくり座らせて頂くとはまことに勿体ないことでした。西本願寺は報恩講ではないので、スタンプはありません。残念!
 27日のメインイベントは仏光寺の通夜布教、それまでは再び報恩講行事がたくさんある東本願寺へ。まず11時から始まった視聴覚ホールでの「御正忌報恩講コンサート」、たくさんのグループが仏教讃歌を披露して下さいました。初めて耳にする曲も多く楽しい2時間でした。
 次に御影堂で午後1時20分から始まる結願逮夜の一連の法座にお参りしました。中でも嬉しかったのは、報恩講法話(その形はだいぶ異なりますが西本願寺の「改悔批判」にあたるもの)。大谷大学学長の草野顕之氏が歴史学の立場から報恩講の歴史とそれを充実させた蓮如上人の思いを聞かせて下さいました。
 また、この結願逮夜法要には西本願寺の専如門主の御献香がありました。お勤めが終わった後に、御門主様入退堂のためだけに雅楽の演奏が入り、それはそれは荘厳なものでした。


■仏光寺の通夜布教
 少し早い目に夕食をとり、次に向かったのは仏光寺、東本願寺から徒歩20分ぐらいです。18:30から通夜勤行、引き続いて「御伝文」拝読、そして通夜布教となります。最後までもてば翌日未明3:10までの長丁場。
 東西本願寺の親鸞聖人の伝記は本願寺第三代の覚如上人がお作り下さった「伝絵」の詞書、「御伝抄」と呼ばれていますが、真宗各派ではそれぞれ、寺伝と関わってそれと若干違った伝記が詠まれると聞きます。仏光寺派はそれを「御伝文」とされていますが、私の興味はそれが「御伝抄」とどう異なっているのかということです。伝絵の仏光寺本には他には見られない「一切経校合」の場面がありますが、その詞書がどうなっているのか、派内では聖人が流罪を許されて関東に赴く前に一旦、京都にお戻りになって一宇を建立されたということが語り継がれていますが、そこに関する詞書があるのか否か、是非聞きとっておきたいと思っておりました。
 ところが私は迂闊にも、拝読中に居眠りをしてここを聞き逃してしまったのです。この夜、仏光寺御本山は参拝者の防寒(大きな大師堂ですが、防火災のためストーブは焚けません)のため、一人に毛布を何枚も貸して下さっています。加えて、使い捨てカイロも配布されました。初めの15分くらいは緊張して聞いていたのですが、体がポカポカ暖かくなり、拝読される方の声が透き通り、実に見事な節回し、心地良いことこの上なし。最初のうちは「御伝抄」との違いには気づきません。ちょっと気が緩んでしまったのがバカでした。どのぐらい時間がたったことでしょう。ハッとがついた時には「しかしながら、これを略するところなり」と一番最後を詠み上げて下さっていました。時計をみれば30分くらいは夢うつつで意識不明。肝心のところはすべて夢の中。全くお粗末の限りでした。また、来年にでも・・・。
 8:10からは本番の通夜布教、御講師お一人40分の持ち時間で、阿弥陀さまのお徳を讃嘆し、聖人のご苦労を語って下さいます。広い本堂に40人ほどの参拝者が毛布にくるまれての聴聞です。途中の中休みで、甘酒とみかんが振る舞われました。西本願寺の通夜布教にもお参りしたことがありますが、こちらの方がこじんまりと家庭的です。
 しかし、4年前にお参りしたときはまだ体力気力があったので最後まで持ちましたが、今私は65歳いよいよ正真正銘の高齢者です。もう徹夜は無理、前半4名の御法話が終わったは時はもうフラフラ、ここであえなくギブアップ。この時点でもまだ20人くらいは頑張っておられました。
 仏光寺では6時間半ほどの滞在でしたが、ここで3つめのスタンプを押してもらい宿へ。


■他山を訪ねるのは結構楽しいものです
 翌日28日は旧暦づとめの各本山では御満座、東本願寺報恩講の結願日中でお勤めされる「板東曲」は、毎年マスコミの取材が入ります。私にはこの日、所用があり日中法要まではお参りできないのですが、お晨朝にお参りすると、すでに御影堂内には席とりをされる方々がいっぱいおられました。
 1月は西本願寺と専修寺、後の5山は11月まで待たねばなりません。十派スタンプ台紙をすべて埋めきるのは大変ですが、他山を訪ねるのは結構楽しいものです。ただ、報恩講時期に限りますので、かなり高いハードルになることは間違いありません。健康であれば何年かかるかわかりませんが全山巡拝したいものです。
南無阿弥陀仏



御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)

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