(過去の「雑色雑光」はこちらからどうぞ)

善妙寺住職木下眞人師を偲んで


 この欄にこのような文章を書かねばならないとは・・・痛恨の極みです。さる5月17日、善妙寺住職木下眞人師が逝去されました。このホームページは2014年6月1日、組の依頼を受けて師が開設して下さいました。以来、ページを改善しながら、組内外時々の情報を満載して3年間毎月1日、一度も休まずに更新してきました。その作業もすべて師が引き受けて下さいました。
 時々いただく、組外の方からホームページに対する評価は「うまくできていますね」「かなりハイレベルだね」「どこの業者に委託しているの」・・・。と感心する声、声。そのたびに私は「うちには素晴らしいホームページビルダーがいるんです。善妙寺さんですよ」と自慢していました。
教区内屈指のキッズサンガをつくりあげて下さったのも善妙寺さんです。毎年、趣向を変え、組内の門徒子弟150人+保護者が日高別院を埋めました。子どもたちにとっては楽しい楽しい夏休みの行事となっていますが、またこれは子どもや若い保護者とお寺の御縁を深める行事となっています。そこに多くの教化団体のメンバーがスタッフとして参画して下さったのは眞人師の人間的な魅力に他なりません。
私ども執行部はここまで、善妙寺様に甘えすぎていました。様々な方面に秀でた能力を有しながらも、それを誇ることはなく、どんな要望に気持ちよく応えて下さいました。そのことが、負担になって、病状を重くしたのではと今、悔いるばかりです。
 木下眞人様は、これからの御坊組・和歌山教区を支える人物です。否、「これから」でなく「今」を支えてくれていた大黒柱でした。「御坊組には組長の代わりはなんぼでもいるが、善妙寺さんの代わりはない」とよく言われてきました。このように師は組と教区にとって「子ども・若者ご縁づくり」の無二のオルガナイザーでした。以下にさる5月20日、師の葬儀で読ませて頂いた「組長弔辞」を再録してそのご功績を讃えたいと思います。




■弔辞
 謹んで 善妙寺住職木下眞人師のご葬儀に当たり、御坊組を代表して、心より哀悼の意を表します。

  「 夢の世に あだにはかなき 身をしれと 
         教えて還る 子は知識なり 」

 このような場で私より一回りもお若いご住職にお別れを申さねばならぬとは・・・身がかきむしられているような思いです。善妙寺さまのこれまでの組への貢献はここに言い尽くせるものではありませんが、その一端をご紹介させていただきます。
 ここ数ヶ月、私どもは周囲から漏れ聞くご住職の病状の厳しさに心を痛めておりました。昨年暮の僧侶研修会へのご出席が組行事の最後となりました。その後、今月初めまでメールのやりとりは行っておりましたが、直接お会いすることはかないきませんでした。
 ご住職は御尊父様が平成16年11月に往生された後、翌年17年5月に当山第14世の住職を拝命されました。そしてその秋には住職継職法要が賑々しく厳修され、門信徒あげて新住職の誕生を寿ぎました。当時「副組長」であった私もこの法要に招かれ組からの祝辞を述べさせていただいたことを覚えております。
 ご住職は御尊父様の仕事の関係で少年時代を大阪・東京で過ごし、長じて龍谷大学文学部に学ばれ、真宗学を修められました。卒業後は一転、民間会社に就職され、コンピューターのシステムエンジニアの道を歩まれました。6年前、40代半ばで大阪での会社員生活にくぎりをつけ、御門徒が待つ善妙寺に帰山、先代、先々代とはまたひと味違った手法で御門徒に寄り添い、若い感覚で魅力ある寺づくりに邁進されました。その穏やかなお人柄と熱意に周囲はみな引き込まれて行きました。
 組にあっては少年連盟と広報を担当して下さいました。今、組内にその活躍を知らぬ者はおりません。御坊組は夏休み中の日高別院におけるキッズサンガの取り組みを実践運動重点プログラムの柱と位置づけ最も力を注いで行ってきました。150人を越える子どもたちが集う催しはその質・量とも教区屈指のものとなっています。この大イベントの企画・運営はすべて善妙寺さんの手によります。ご住職の人間的な魅力が総代会、仏壮、仏婦、寺青、寺族女性、門推など教化団体の面々をスタッフとして鳩合させ、この集いを成功に導いています。もちろんそれを支えた坊守さんの献身も見逃せません。
 さきほど、ご披露申しあげましたが、今般、ご本山から眞人様に、院号「慶楽院」が下付されました。「慶」は「一念慶喜」の「慶」、御開山は唯信鈔文意に「慶はよろこぶといふ、信心をえてのちによろこぶなり」とお示し下さっていますが、眞人師はご自身が信心を喜ぶとともに、子どもたちに「お寺での集いの慶びや楽しさ」を知ってもらうため身を尽くされました。
 この善妙寺様の活躍は教区も知るところとなり、教区実践運動の常務委員に任命され、現在、教区少年連盟の委員長にも就任されています。その中で、教区の「子ども報恩講」や「子ども念仏奉仕団」にも大いに尽力されてきました。組と教区の少年教化活動においては善妙寺様はまさに「余人をもっては代え難い」存在でありました。
 また、善妙寺様は組の広報活動の要でもありました。2014年6月にそれまであった組の広報紙「御坊組だより」に代えて「御坊組ホームページ」を立ち上げたわけですが、その作成・運営のすべてをお引き受け下さったのは善妙寺様でした。それから毎月一日の更新は三年間、一度も休まず続いています。その中の一コーナー「雑色雑光」は組内の僧侶・寺族・門信徒からの寄稿によりますが、ホームページの冒頭「今月のお話」の殆どは善妙寺様が執筆してくれていました。時節を捉えたエスプリに富む文章は大好評でした。「雑色雑光」用にと私がダラダラ書いた文でも丹念に読んで下さり、小見出しをつけたり、写真を挿入していつも読みやすい形に整えて下さいました。教化団体の行事などもこまめに取材し、簡潔にまとめ写真とともに掲載、またリンク先を充実させ、一組のホームページとは思えぬレベルに達しています。また昨年夏には宣伝用として、2015年度分のホームページを抜粋編集したものを組内門徒に全戸配布されたのも善妙寺様の発案でした。
 ホームページに係わる善妙寺さんとの会話で私の耳に何度も届いた言葉があります。「全然、大丈夫です。いけますよ。やってみましょう」。ITに全く疎い私が、ここはああして、こうしてと無茶な注文を出しても、返ってくる返事かいつも「全然、全然 オッケイです。やれますよ。」でした。とても心強く感じておりました。「どんなときも、私はあなたと一緒にいますからね。私が見守っていますから大丈夫ですよ」という阿弥陀さまのお心に重なります。
 昨秋11月13日、当寺の報恩講に重ねて、天井画完成落慶法要が行われました。鈴蘭会を主催される鈴木薫先生の門下生と当寺門信徒らが152枚にもおよぶ見事な華天井を当山本堂内陣に完成させました。記念法要には、ご住職は万全ではなかった体調を押して出勤されました。お勤めのあと満堂の参拝者に万感の思いを込めた涙ながらの御礼のご挨拶は感動的でした。
 眞人師の住職在任は十年余りと短いものでしたが、寺と組に残された功績ははかりしれません。新仏具や金箔、サッシなどで物理的にお寺が明るく美しくなっただけでなく、善妙寺さんがここ十年でとても親しみやすく、入り安いお寺に変わったとある御門徒さんからお聞きしたことがあります。これはひとえにご住職夫婦のお人柄によるものでしょう。
 このように木下眞人師は善妙寺と御坊組の活動に都会の新風を吹き込んで下さいました。今、私たちは組の実践運動のかけがえのないリーダーを失うに至りましたが、ここでひるんではご住職の思いを無にすることになります。ご住職が残された功績の万分の一でも継承・発展させてゆかねばなりません。ここに私たちはご住職のご労苦に改めて感謝するとともに、今後、組としても坊守様を支え、善妙寺様の護持にできうる限りの協力をしてまいることをお誓いして弔辞とさせていただきます。
 木下眞人様、本当に有り難うございました。

                  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2017年5月20日

                         御坊組組長 三宝寺 湯川逸紀

 なお、木下眞人師の通夜には本山から寺院活動支援部「子ども・若者ご縁づくり推進室」榮俊英部長、教区からは教務所長中岡順忍師、賛事津村清信師、少年連盟担当小山融正師がお参り下さいました。
 




御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)


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