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光明寺本堂、見事台風被害から蘇る!




 6月16日、三尾光明寺の本堂修復落慶法要が盛大に厳修され、多くの門信徒が修復なった本堂で慶びの法要に参集しました。
 みなさまご存知のように、この法要が15日後に迫った、5月31日、突然御住職の三輪信照師がご逝去されるという大変な事態となりましたが、落慶法要を御住職の企画通り厳修することが師の御恩に報いることと寺族、門徒が心を一つにしてこの法要をお勤めされました。

 当日は心配された天気も見事に晴れ渡り、御住職のお付き合いが深かった組内7ケ寺の住職、御坊楽処和雅楽のメンバー7人、さらにこの法要には仲尾信博和歌山教区教務所長が御多用を押してお祝いに駆けつけて下さいました。

 法要・式典の司会は生前のご住職が依頼されていたというご門徒の中野幸さんがお勤め下さいました。法要は雅楽の演奏で諸僧が入堂、御導師は副住職の三輪映信師。見事な登礼盤作法を披露、朗々と読み上げる表白は御尊父様と重なります。お勤めは正信偈、大本堂に僧・俗の読経の声が溢れます。

 その後、記念式典となり、まず、この建設に貢献された玉井組の三尾聖司社長、近畿紀の国建産の坂本雅信代表取締役、亀井瓦工事店の亀井武志代表に感謝状が贈られた。そして三尾氏が工事関係者を代表して謝辞が述べられた。





 次に教務所長が本願寺総長から住職宛の「お祝いの言葉」を披露し、祝辞を述べられた。引き続き御坊組長からの祝辞があり、光明寺総代小西昌弘氏が丁寧な謝辞が述べられた。この後小休憩がはいり、坂本雅信氏の建築説明を受けながら、参拝者が内陣にも入り、修復なった本堂の素晴らしさを体感いたしました。



   

 後半はアトラクションとして雅楽の演奏を楽しみました。専福寺住職の清水正宣師から楽器の楽しい説明を間にはさみ、「陪臚」など3曲を演奏していただいた。満堂の参拝者をしばし幽玄の世界に誘って下さった。式典の終わりの「恩徳讃」も雅楽の伴奏で締められました。

   

 最後に、三輪映信副住職から、これまでの取り組みへの感謝とこれからの住職継職への決意が述べられ、この日の法要の幕が閉じられました。


 以下に蛇足となりおますが、組長の祝辞を掲載させていただきます。







 光明寺修復落慶法要 祝辞

 この度の光明寺本堂修復落慶、まことにおめでとうございます。御坊組を代表して心からお祝い申し上げます。しかしこの慶事を前に突然のご住職とのお別れ、誰もが驚き、世の無常に心が痛みます。
 昨年9月4日の台風21号は25年ぶりに「非常に強い」勢力で日本に上陸し、特に近畿地方を中心に大きな被害を出しました。寺院被害も深刻で和歌山教区内においては両別院を含めると279ケ中、140ケ寺から被害報告がありました。市町村からの罹災証明発行に至らなかった分を含めると教区内の殆どの寺院が罹災しました。この中でも本堂の被害が最も大きかったのは光明寺さんでした。
 台風の翌々日、教区から組内寺院の被害報告を求められましたので、こちらにもお伺いしました。お寺に近ずくと、三尾の集落全体が大変な状況になっていることがわかりました。お寺では、ご住職、坊守様、新発意様が疲れ切った表情でが汚れた仏具や畳を洗っておられれるところでした。よほど強い風が本堂を襲ったのでしょう。多くの瓦が失われ、野地板が破れて屋根には大きな穴が開いていました。屋根から落下してきた瓦や土の重みで外陣の格天井も全部落下したと後にお聞ききしました。東に面した畳一畳ほどの壁も完全に破られていました。
 その日、ご住職はこの本堂をどういう形で復旧するかについては今、総代様と検討しているところだと話されていました。
しかし、それから10日ほど後にご住職にお会いした折、「修復資金のめどがついた、工事についてはご縁の深い建設会社「玉井組」が引き受けて下さる。有難いことに本堂はこの形で復旧できそうだ。」ととても明るく仰ってくれました。
 その結果が、本日の落慶法要です。大変順調に進んだ修復事業でした。屋根瓦は耐震も考慮されて空ぶき工法だと聞き及びます。本堂の柱や、山門の板塀には美装をかけ欅材の木目が鮮やかに出て新築のようです。正面の真っ白な漆喰壁には墨で描かれた迫力ある鳳凰、内陣の脇段・余間下には金泥の背景に大輪のハスが咲き誇っています。まさにお浄土がここに出現したように思わせます。これらは地元出身の日本画家西垣至剛(よしたか)氏の作品です。まことに素晴らしい本堂が蘇りました。
   

 このように、深刻な被害を受けながらも、極めて順調に復興なったのは、いくつかのポイントがあったと思います。
 まずその一つは前本堂が素晴らしい部材を用いた頑健な建築であったゆえ、あの暴風にも土台や主要な柱・梁は揺るがなかったことが、そのままの形での修復を可能にしました。本堂創建を担った先人のご苦労を思い起こさせます。そこには海を渡ったご門徒の「心のふるさと」光明寺を思う篤い御懇念があったことは忘れられません。
 次にご門徒一同が大本堂に見合う多額の「建更共済」をかけ。万が一に備えていたこと、まさに先見の明が光る「自助」といえましょう。さらに当寺は、本山・教区の「災害金庫」への出資を怠らず、そこからも御支援(見舞金)がいただけたことも復興事業を後押ししてくれました。これは「共助」にあたりましょうか。
 そして「人の輪」、ご住職を中心に、ご門徒様方が何としても組内屈指の大本堂を守り抜くとお心を一つにされたことです。この迅速な対応が他に先んじての復興をなしとげました。
 この度の御当山の被災からの鮮やかな復興は組内寺院を大いに励ますものです。また今後、起こるべく災害から寺院をどう守るのかを教えてくださいました。

 宗祖の「讃阿弥陀仏偈和讃」の一首にこうあります。
「七宝講堂道場樹 方便化身の浄土なり 十方来生きわもなし 講堂道場礼すべし」
講堂道場は阿弥陀様の浄土へ導く手立てだとおっしゃっています。どうか、ご門徒さま方、この修復なった光明寺本堂に集うて下さい。それが信照住職、たっての願いでありましょう。今日の晴れの法要にはお浄土から信照師もかけつけ笑顔いっぱいでお勤め下さっているいるような気がします。
 今後光明寺が念仏申す講堂道場としてますます繁盛し、末永く護持されることを念じ、修復落慶のお祝いの言葉といたします。



       南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏


御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)


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