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2021年は「聖徳太子1400回忌」が正当
3月にふと立ち寄った本願寺のホームページに「<春の法要>聖徳太子1400回忌法要・立教開宗記念法要を修行いたします」とありました。例年のご本山の「春の法要」は4月半ば「立教開宗記念法要」としてお勤めになっておりますが恥ずかしながらは私は一度もお参りしたことはありませんでした。今年は「聖徳太子1400回忌法要」を重ねるということで、是非とも参拝したいと思い立ちました。 しかし、4月になってもコロナ禍の終息が見えません。本山のホームページには「法要の様子は、YouTubeチャンネル「お西さんの法要行事」 にてライブ配信いたします」とあります。もうこれに乗るしかありません。実際4月13日、14日の「聖徳太子1400回忌法要」は自宅でのオンライン参拝となりました。 画面に映る御影堂の様子は参拝者・出勤僧を大きく制限されたためなのか、かなり淋しい法要風景でした。苅屋光影師のご法話はこの法要の意義がよくわかり有難いものでした。 親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主」として崇められました。聖徳太子を讃えた御和讃は正像末和讃にある「皇太子聖徳奉讃」11首のほか、「皇太子聖徳奉賛」75首、「大日本国粟散王聖徳太子奉讃」114首を合わせると実に200首にものぼります。どれも聖人の聖徳太子に対する敬愛の念が溢れています。多くの真宗寺院の内陣余間には「聖徳太子16歳孝養像」が奉懸されています。 今春、法隆寺や四天王寺など全国の聖徳太子ゆかりのお寺では大々的な「1400回忌法要」がお勤まりになっていますが、コロナ禍での法要は困難を抱えているようです。 学校教員を退職して10年、全国の真宗寺院に参拝することを趣味としていました。そのいくつかのお寺の境内に聖徳太子を祀る「太子堂」があることを知りました。 普段は閉扉されているところが多く、内部の荘厳はわからないままですが、以下に外観をご紹介します。 1.真宗高田派 本寺専修寺 (栃木県真岡市) 左は「一光三尊仏」を本尊とする「如来堂」で、屋根の形は、中世密教寺院の仕様を感じます。右が「太子堂」、説明板によると、お堂は以前ここより300m南にあったが江戸時代に境内に移設、堂内には「南無太子二歳像」を安置していたが、今は本寺の御殿に移されているとのこと。 2.真宗高田派 本山専修寺 (三重県津市) 左は手前は如来堂、奥が御影堂、右が太子堂、高田本山には何度か報恩講にお参りしましたが、ここが開いていたことはありませんので、中の様子はわかりません。 3.稲田山西念寺(茨城県笠間市)稲田の草庵跡(単立寺院) 左が総門、境内は広く壮大な本堂が建つ。右が太子堂で本堂東の山中。中の様子は不明。 4.真宗高田派 妙源寺(愛知県岡崎市) 左は楼門、右が「太子堂」である「柳堂」このお堂は国宝に指定されています。 毎年、8月7日・8日、多くの寺宝を一般公開してくださる。この柳堂の扉も開き、安置されている「聖徳太子十六歳孝養像」にお手を合わすことができます。 5.瑞泉寺 (富山県南砺市井波町)真宗大谷派井波別院 左は総けやき造りの山門、右の写真の右が本堂、左が太子堂。太子堂としては大変大きな建物。毎年7月下旬、「太子伝会」が催され、「太子絵伝」の絵解きが行われるという。当寺は彫刻の町井波にあり、お寺全体が彫刻美術館ようです。 「太子堂」があるのは真宗では高田派寺院が多いようです。「太子信仰」が強かったのか宗派を超えて関東地方の寺院によく見られます。 親鸞聖人は、聖徳太子が国づくり要として「十七条憲法」をつくられたことを喜ばれています。 十七の憲章つくりては 皇法の規模としたまえり 朝家安穏の御のりなり 国土豊饒のたからなり (皇太子聖徳奉讃 五十八首) 憲章の第二にのたまわく 三宝にあつく恭敬せよ 四生のついのよりどころ 萬国たすけの棟梁なり (同 七十三首) いづれのよ いづれのひとか 帰せざらむ 三寶より まつらずは いかでかこのよの ひとびとの まがれることを たださまし (同 七十四首) 昨今の歴史研究の進展で、最近の高校日本史教科書では単なる「聖徳太子」は消え「厩戸王(聖徳太子)」(山川出版社の『詳説日本史B』)とカッコつきの表記に変わってきているようです。実在したのは「厩戸王」で「聖徳太子」は 彼の功績を称える人々が後世になり彼に贈った名前とされているとのこと。そうかもしれませんが、少しさみしいですね。 私は聖人が尊崇された「聖徳皇」の名をこれからも大事にしたいと思います。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 入山三宝寺住職 湯川逸紀 |