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Tさんのアマリリス



 毎年6月上旬、境内の小さな花壇に大輪のアマリリスが数株咲いてくれます。花壇といっても全く手入れがされておらず、雑草、雑木に埋もれて申し訳ないことになっています。

 実は、この株、私の学生時代の友人T君から贈られてきたものです。白いプラ鉢に入った球根が我が家に届いたのは30年ほど前でしたか。水と鉢に付属していた肥料を与えるととても大きな花が一茎に数輪、見事なものでした。花後、この場所に地植えしたところ、何のお世話もしないのに毎年必ず花を見せてくれています。私ども家族は「Tさんのアマリリス」と呼んでいます。

 これを贈って下さったT君は、もうこの世には居られません。
 T君には学生時代とりわけ親しくしていただきました。同じ植物を研究する仲間でしたが、3回生から彼は植物病理学教室、私は応用植物学教室に入り、1974年にともに大学を卒業しました。私は大学院に残りましたが、T君は植物病理の研究職として「日本専売公社(当時)」に入社、数年後そこから米国中部のW大学の大学院に進学、修士号を取得して帰国の後、母校で博士号も得られるなど順風満帆の研究者人生を歩んでいました。
 しかし、彼は40代半ばで脳腫瘍を発症し奥様と可愛いい二人の娘さんを残し、48歳で命終。ちょうど、教職員組合の教研集会で東京にいた私は新宿の東京女子医大病院の病室でご家族と一緒に彼を看取りましたが、その時の無念は忘れることができません。

 日本専売公社は1985年に民営化され「日本たばこ産業株式会社 (JT)」 として出発されましたが、彼は研究部門のリーダーの一人として活躍されていました。同社は「たばこ」だけでなく幅広く農業・園芸に関する事業を展開する中、アグリ事業部を充実させ、子会社「ジェイティアグリス」を設立、そこがこのアマリリスの栽培セットの販売を手がけられたようでした。現在はこの事業部も子会社もないようです。

 T君の奥様の実家は栃木県小山市にあり真宗門徒、彼のお墓はその菩提寺にあります。今、奥様は2人のお嬢様を嫁がせた後、都内のマンションで、孫守に精を出されています。私も上京したおりは安置されているT家のお内仏にお参りさせていただきます。そこには温かい家族に囲まれた笑顔いっぱいのT君の写真が飾られています。

 東大阪市に実家があるT君は学生時代、私どもを訪ねて下さったことがありましたし、アメリカ留学から戻ってからも一家で小寺に遊んで下さったこともありました。毎年このアマリリスが咲くとT君がふっと訪ねて来たような気がします。

アマリリスの花言葉は「誇り」「おしゃべり」「輝くばかりの美しさ」「内気」だそうです。彼はお酒が入ると、とても「おしゃべり」になったことは確かです。T君は私の人生を飾って下さった、かけがえのない親友です、今も。来年は、彼の25回忌。コロナ禍が終息すればお墓のある栃木県小山市の菩提寺にもお参りしてきたいと思っております。




                     南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

                            入山三宝寺住職 湯川逸紀












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