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蘇った七條 


 あれは平成何年だったろうか?
夏の七條があまりにも傷み、もうお蔵入りにしようかと義母と相談したのは・・・
その頃、夏の玄関間は開け放つことが多く、次の間がモロに見え使用不全にあった。
そこでハタと閃いたのが、この七條を衝立に仕立て、その衝立でこの玄関間を遮れば少しは使える間になるのではあるまいかと・・・事は急げと急遽H表具師さんに依頼し「それでは衝立 やってみましょう」と快諾をえた。
 しかしそれから待つこと20数余年 その間、義母はお浄土へ行かれ、庫裏は改築、私も古稀を迎えるに到った。
その待ちに待った衝立がついについに出来上がり、先日山寺に届けられたのだ。ただただ待っていたのではなく、途中心配になり見学にも行かせて貰ってはいたのだが・・・ 
 表具師さんの御入院があり、これはもう無理かなと思いご相談に行ったところ、七條には裏打ちがされてあり続行して下さるとのこと! これは有難しと思いまたまた待っていたところ、何とその表具師さんが御逝去になられ・・・ これはもう「頓挫」とすっかり諦めの心境でいたところ、嬉しいことにお孫さんが引き継いで下さりここに完成をみたのでした。
 経緯は数々あれど、何はともあれ その衝立見て下さい。

   

 おひな様の 後ろにそっと控えているのが件(クダン)の衝立。「3月のおひな様と夏の七條とは季節がごちゃ混ぜですなぁ」等という野暮なことは仰いますな。 すっきりまとまっていましょう!?
 古色蒼然とした七條が往古の輝きを取り戻し今私達の眼前に再興したのです。
まあホント、人生諦めも必要なことはあるけれど、待つことも大切だとしみじみ思う今日この頃です。

 因みにこれ程までにこの七條を蘇らせたいと思ったことには訳があります。この七條にはどういうことでか山寺の家紋が金糸で織り込まれているのです。意匠としてのデザインか、はたまた別あつらえとしての七條かは定かではないのですが、「この七條は大切にせぇよ」との言い伝えがありました。その言い伝えによりこうして山寺の寺宝が蘇ったのです。
 早速、2月15日の「小よりサロン」の折、参拝された皆様にお披露目致しました。


 皆様一様に喜んで下さいました。が、やはり女性ですね。下に並べていた紀州手まりにも関心があったみたいですが?
 蘇った七條これからも幾久しく大事にしていきたいと思うことです。
 古人からの言い伝えを大切にすることが今の私達の暮らしを豊かにしてくれました。私達がみ御教をしっかり受け取り、お御法をきちんと伝えていくことが、子や孫の生きていく時代を豊かで優しいものにしてくれることは間違いないことです。伝えていくことの大切さ七條に教えられています。


                                    合 掌

                            三宝寺坊守  湯川謹子










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