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「オイル」と「老(お)いる」 


 新年あけましておめでとうございます。
 本年もこのHPとのお付き合いどうかよろしくお願い致します。


 私は年に何回か京都に行きます。

 この時、本山にはもちろんお参りしますが、東本願寺にもしばしば立ち寄ります。 塀で囲われた境内地の北にある「しんらん交流館」その中にある東本願寺文庫(閲覧室)はよく利用させて頂きます。 仏教・真宗関係の専門書、一般書が数多く所蔵され、開架で公開されていますので、ここで調べものをさせて頂くことができます。

 もう一か所、寄らせて頂くのは阿弥陀堂門、御影堂門を入ってすぐのところにある「お買物広場」です。 そこはブックセンターを兼ねていますので、東本願寺出版部の書物が並びます。 有難いことに、ここでは毎月発行されている「同朋新聞」が無料で頂けます。 写真が大きく読みやすい宗派の機関紙です。もう一つ、私が楽しみな冊子は東京にある大谷派の真宗会館が毎月発行されている「サンガ」です。
 毎号この冊子の終わりに近い1ページを埋めて下さるのが医師の徳永進先生です。 鳥取市にある「野の花診療所」は先生がホスピスケアを行うために2001年に開設したものです。 「野の花診療所の窓から 老いるについて」と題した軽妙なエッセイは毎号、読者に「老いるもよし」との思いを抱かせます。

 美浜町入山の住民は年に何度か地域を流れる西川堤防の草刈り作業の動員がかかります。 その時、私も慣れない草刈機を振り回しますが、年を重ねるとこの作業はとてもつらいものがあります。 私の草刈機は2サイクル式ですので燃料は混合油、ガソリン対オイルの比率が50対1の割合です。 2サイクルエンジンではオイルはそのまま潤滑油として、ガソリンを燃料として使用する場合のエンジンにかかる摩擦を低下させ、焼き付きを防ぐために使われます。 したがってオイルを混合しないガソリンのみを燃料とするとエンジンはすぐ焼けつくことになります。オイルはガソリンに比べて量的には少ないのですが重要です。

 ダジャレのようですが「オイル」は「老(お)いる」を連想させます。 私近頃、古希を過ぎ「老い」の波に翻弄されています。耳は遠く、目はかすみ、節々の関節はギコギコうなっています。 それより悪いのは物忘れ、お人のお名前や交わした約束を失念するのはしょっちゅう。周囲にえらい迷惑をおかけしています。 まさに「老(お)いる」を実感する毎日です。しかしそれをそのまま受け入れることも大切なことだとも感じています。




 偉大な教育者であり、宗教家であった東井義雄先生の詩に「老」と題する作品があります。






  老

 「老」は失われていく過程のことではあるけれども
 得させてもらう過程でもある
 視力はだんだん失われていくが
 花がだんだん美しく不思議に見させてもらえるようになる
 聴力はだんだん失われていくが
 ものいわぬ花の声が聞こえるようになる 蟻の声が聞こえるようになる
 みみずの声が聞こえるようになる
 体力は どんどん失われていくが
 あたりまえであることのただごとでなさが体中にわからせてもらえるようになる
 失われていくことはさみしいが
 得させていただくことは よろこび
 老も、死も、み手のまんなか 「老」のよろこびは得させていただくよろこび

 老いることは、失うものばかりのようですが、よくよく味わうと、たくさんなものを、新たに受け取っていることに気づかせていただけるのです。 私たちの周囲ではアンチエイジングがもてはやされますが、豊かな経験の積み重ね「老いる」は人生の潤滑油オイルです。 これを大切に受け入れ、喜び多い人生を受け取らせていただくことができるのは高齢者の特権です。

              南無阿弥陀仏   南無阿弥陀仏

                            三宝寺住職 湯川逸紀










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