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究極のSDGs 


 「SDGs」ここ数年、よく耳にする言葉です。その訳が「持続可能な開発目標」で、世界共通の17の具体的な目標が設定されています。 ここにはもっともなことが並び、異論はありません。が・・・一体私どもは何をしたらいいの?、何ができるものはあるの?と考え込んでしまいます。

 昨年秋、大切なUSBフラッシュメモリを紛失し2ケ月ほど家探し、家中、思いつくすべての箇所を探しまくりました。 しかし、それを見つけたのは、全く思いもつかないところ、捨てる寸前のゴミの中からお出まし、やれやれ、こんな探し物はしょっちゅうですが、だんだん見つかるまでの時間が長くなってきました。

 この大捜索の中、机の引き出しから写真の様な種子袋を発見、ケヤキの種子が入った袋です。思い出しました。 親鸞聖人750回遠忌が真宗各派の本山で厳修された10年ほど前、東本願寺にお参りした折、頂いたものです。袋の裏の説明にはこうあります。
 「阿弥陀堂・御影堂の木材は、主として欅をはじめ、松・檜・杉の木が使用されています。そして、その多くは、数百年の歳月を経て育った大木です。このような大木は、現在の日本においてほとんど存在しないのが現状です。 私たちの子や孫・曾孫、それ以降の時代、約二百年後に行われるであろう御修復では、両堂に使用されている木材を私たちの手で、そして子や孫へお念仏の教えと共に伝え、育てていきたいと思います。」

 東本願寺の阿弥陀堂・御影堂は、世界に誇る壮大な木造建築として知られています。現在の両堂は幕末、「蛤御門の変」で焼失したものを明治時代に再建したものです。両堂の再建には大量の用材が必要となりました。 ケヤキなどの巨木を全国に求めましたが、その切り出し、運搬、建築にどれほどの御苦労があったか、今、両堂の渡り廊下に展示されている大橇(おおぞり)、毛綱 、尾神嶽殉難事故のジオラマが語っています。当時の門徒衆の「仏恩報尽」の念がしのばれます。

 二百年後の建て替えに備えて、ケヤキを御門徒が育てる、夢のある企画ですね。「持続可能」をうたうSDGsに適っているような気がしませんか。 ケヤキは大変堅い木、大きくなると箒状に枝を広げます。幼木のころからうまく枝打ちをして直幹を伸ばさないと柱にはならないでしょう。二百年ともなると、家系も七代位先となります。今にも途切れそうな私方では無理でしょうな。

 昨年11月19日、3年余前の火災を契機に 将来的な首里城での活用を見据え 国頭村で子どもたちが『イヌマキ』を植樹したとのニュースを見ました。 この木は西日本にごく普通にみられ、当地では庭によく植栽されます。水やシロアリに強く、首里城では正殿の向拝柱として使われていたようです。
 しかし今、沖縄にはこの復興にかなう大木がないとのことで、熊本県産のものが使用されるようです。このイヌマキの植栽事業、良いですね。先人が遺してくれた巨木に頼る寺社建築は「持続不可能」でしょう。

 寺院とケヤキ材、これまで多くの寺が「総欅造り」で造られてきました。単にその材が堅牢で、シロアリ被害にもあいにくいというだけが理由でないように思います。 柱や梁として削り出せばその表面の木目の美しさ、スギやヒノキのような単調でないのが面白い。
 しかし、現在新築される寺院ではケヤキが主役にはなかなかなれないようです。自坊は20年前に建替しましたが、旧本堂で多く使われていたケヤキ材がヒノキ材に変わりました。限られた予算ではとてもケヤキ材は揃えられないというのが本当のところ。しかたありません。

 ケヤキはニレ科の落葉高木、東北から九州までどこにも自生し、街路樹としてもよく植栽されますが、寺社建築に使われる巨木は内陸部に多く産するように思います。 世界遺産ともなっている現在の西本願寺御影堂は1636年(寛永13年)にが再建されましたが、この時も全国から用材が寄せられました。日高の山中からもケヤキの大木十数本が切り出され進納されたと伝わります。

 もう、40年位前ですが、南紀生物同好会が京都大学理学部、村田源先生をお招きして行った黒島調査に同行させて頂いたことがありました。 黒島は結構大きな島ですが無人島、手つかずの自然が残る島です。周囲は海釣りのポイントがたくさんある島です。生物学的には「亜熱帯性の常緑つる植物ハカマカズラの北限自生地として知られます。 (確か廃校になった衣奈中学校の校章にこれがデザインされていたように思います)その島の頂上付近に何本かの大きなケヤキがまとまって生えていたことを覚えています。 ケヤキは冷温帯の植物というイメージがありましたので、少し驚いた記憶があります。

 ケヤキにまつわるオソマツ談をひとつ。自坊は20年前、本堂の新築に合わせて、庫裡も全面的に建て替えました。 庫裡は1998年の台風で大被害を受けましたが、修復する資金がなく、屋根全体にブルーシートをかけたまま4年間耐えました。その後、本堂新築工事に合わせ全体を撤去、再建完成したのが2004年3月でした。
 この新築記念にとちょっと贅沢したのが「ケヤキの座卓」九畳の書院の中央にデーンと置きたいと思いネットで探しました。 見つけたのが群馬県の銘木店、大きなケヤキ材を購入すれば、座卓に加工してくれる(有料ですが)という。 発注して待つこと半年、タテ160p、横97p、厚さ7pの一枚板の座卓が完成間近の庫裡に送られてきた時は、嬉しいというより、その重さに驚きました。 果たして動かせるかな、その時は私も坊守も50才になったばかり、2人でなんとか移動させることもできました。 あれから20年、古希を過ぎた老人の力ではどうにもならない長物となりました。 ここ何年間かは廊下の片隅に立てかけたまま、書院の中央には昔使っていた天板の欠けた合板製の座卓を置いています。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」オソマツさま。

 さて、この東本願寺から頂いたケヤキの種子にまだ発芽能力が残っておれば、この春、山に植えてみましょう。柱は無理でもお箸くらいはできるかなと思っていますが・・・。

              南無阿弥陀仏   南無阿弥陀仏

                            三宝寺住職 湯川逸紀










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