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我が家の「 けし 」騒動 


 何年か前、我が家にもケシ騒動が勃発しました。「あなたこのケシをどこで手に入れたのですか?」御坊保健所の職員から厳しく訪ねられたのはうちの家内。ことの顛末はつぎのような次第です。

 もう、8年ほど前になりますか、家内は友人に誘われてツアーでイギリス旅行をしたことがありました。帰路、乗り換えで立ち寄ったオランダ アムステルダムのスキポール空港でのこと、飛行機の乗り継ぎ時間が相当あり、じっとしているのが苦手な家内は空港の中を一人でウロウロ、オランダは花の国、空港内の花屋さんでいろんな花の種子が販売されていたそうな、その中にかわいいポピーの種子袋を見つけ、それをゲットすることにしたようです。しかしポピーはケシの仲間、ひょっとしたら日本では栽培が禁止されているかわからないので、種子袋の説明を読もうとするも、英語とオランダ語?、さっぱりわからない。家内は、語学はカラッキシですが、度胸は人並以上。店員さんに「ジャパン、オッケー?」と聞いてみたそうです。定員さんは「 オッケー」と返事。おそらくこの品種は日本の気候にあって栽培可能ですよ、ぐらいの「 オッケー」だったのでしょう。家内はこれは法的に何ら問題なく栽培できると勘違いをして2袋をお土産に持ち帰ってきました。

 一袋は手元においたのですが、もう一袋は紀北に住む花好きの友人にプレゼント。彼女は袋の絵にあるような可愛い花を咲かせるならと、花好き仲間がボランテイアで世話をしているJR和歌山線某駅前の花壇にそれを蒔きました。3か月ほどたって、それらが生長開花、袋の絵の様な可愛いい花だったそうです。
 コトはここからです。花に詳しいある乗降客がこのケシ科植物を見て。これは日本では栽培が禁止されているケシだと気付き、さるべきところに通報、植えた人はわかりますので、入手元は家内であることはすぐに判明。保健所の連絡網で直ちに御坊保健所にその情報が届きました。幸い家内のもう一袋は手元に置いたままにになっていましたので、それをもって御坊保健所に「出頭」。職員は袋に印字されたその花の品種名を見るなり、「これは日本では栽培が禁止されているものですよ」と仰られ、即没収。しかしそれ以上のお咎めはありませんでした。やっぱりケシは怖いものですな。クワバラクワバラ。

 有田・日高は戦前戦中国内のケシ栽培の中心でした。 1964年制定の由良小学校校歌(西川好次郎作詞)の三番は次のような歌詞です。

 「夢のせて 夢のせて けしの花さく里が呼ぶ
  いつも伸びゆく若木なら とどけ空までこの願い
  ああ ああ ぼくらわたしら 希望の子
  由良小みんな希望の子」

 由良町でのケシ栽培は戦後も続いていたようです。今、神谷の 「ゆらふるさと伝承館」にケシの収穫で使う道具が展示されています。

  有田・日高地方とケシ栽培・アヘン製造そして戦争との深い関わりについてはいつかまた書かせていただきます。

              南無阿弥陀仏   南無阿弥陀仏

                            三宝寺住職 湯川逸紀










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